医師、言語聴覚士、スタッフのコラム

医師、言語聴覚士、スタッフのコラム

日々の気づきや、きこえの事など、各専門家の目線で難聴との関わり方を綴っています

第1回 うさぎクラブサポートメンバー座談会

2021.11.05

第1回 うさぎクラブサポートメンバー座談会

2021年10月9日(土)に

ZOOMでうさぎサポートメンバーである難聴当事者の先輩による座談会を実施しました。

 

第1回うさぎクラブサポートメンバーによる講演者は「モンブランさん」です。

 

※今回の質疑応答はあくまでもモンブランさんの体験に基づいた意見です。すべての難聴児療育に該当する訳ではないことをご承知ください。

 

 

プロフィール

 

氏名:モンブラン

 

最終学歴:四年制私立大学物理学科卒

 

現職:リスクマネジメント職

 

趣味:海外旅行、野球、ゴルフ、ドライブ

 

今頑張っていること:試験勉強、英語、プログラミング

 

 

人工内耳の経緯

 

 産まれた当初は耳が聞こえていないと分かっていなかったようです。

 そして1歳の時に、病院で検査をしてもらって難聴が分かりました。そこから7歳まで補聴器を装用して、発音訓練なども行いました。発音訓練については、自分の母にも付き合ってもらって次第に発音も良くなっていきました。

 

 そして7歳の時に、人工内耳手術を受けました。その後、聞こえのリハビリを重ねていくと、補聴器に比べて明らかに聞き取りが良くなっていきましたね。やはり聞こえが良くなると活発になって、自立性が身について行ったことを覚えています。

 

 そのような意味でも、私にとって人工内耳は、様々なことを可能にしてくれたツールだと思っています。

 

 

学校生活はどのように送っていた?

 

 小学校・中学校では野球チームに所属して、地域密着型の塾にも通っていました。野球つながりの友達も多く出来て、いつも良くしてもらっていましたね。

 

 高校は野球推薦で入学しました。

 勉強や将来設定などは二の次になっていて、365日野球をしていました。しかし練習の辛さに、野球への情熱を失っていました。またこの頃になると大人数で話す機会も多くなって、次第についていけなくなっていました。聞こえもあまり良くなかったので、自分から話すことも出来なくて少人数で遊ぶことが増えてきました。

 

 大学の授業は人数も多いので、講演型の授業が基本的になっていました。そのためさらに聞き取りが困難になって、真剣に受講するのを諦めてしまいました。また大学では野球サークルに所属をして、飲食系などのバイトを行っていました。

 大学生になって活動範囲が広くなると同時に、耳から入る情報が限られていることに気付きました。例えば人身事故があった場合、アナウンスで知らされるのですけどそれが分からないんです。そのため何があったとか、どうしたらいいとかも分からなかったですね。その経験からも、改めて耳から得られる情報が限られていると生活しにくいと感じました。

 

 

学校生活における支援は?

 

 次に学校生活での支援についてお話します。

 

 小・中学校では難聴学級に通っていました。授業では英語のみノートテイクをお願いして、他は特に支援はなく黒板だけにしました。ノートテイクが英語だけなのは、他人と違うことがいじめに繋がると懸念したからです。しかし親の強い勧めで英語だけという条件でノートテイクはお願いしました。

 

 高校ではノートテイクや他の支援もお願いしませんでした。基本的に参考書と黒板と聞くだけでした。この時期は他人の助けを借りたくないと思っていた時期でもあります。そのため分からないことがあれば、直接聞くことをしていました。当時は野球を第一目標にしていたので、実際に勉強はどうでもいいと思っていたんです。ただその考えは今振り返ると失敗だったと思っています。

 

 大学も高校の頃と同様にノートテイクやほかの支援もお願いしませんでした。勉強に関しては、授業は分からないものとして参考書を繰り返して読み込めば良いと考えていました。また試験前は友人と籠って勉強を行っていました。

 

 以上、簡単ですが私の自己紹介です。

 

 あとは皆さんからの質問を通して、掘り下げていけたらと思います。

 

 

質問① 大学生の頃に苦労したことはどのようなことでしたか?

 会話ですね。会話が進んでいる中、自分の意見は他の人がすでに言ったのかなと思い込んであまり参加できませんでした。そういう心の苦労がありました。

 

質問② 耳からの情報には限りがあることを自覚したとのことだったが、今は克服しているのですか?

 社会人になって感じたことは、自分の意見が言えないことは致命的だなということです。社会人としての責任も感じるようになってくるので、昔に比べて今は克服しているのでないか思っています。

 

質問③ 授業の時に苦労したことは何ですか?

 基本的に先生の言っていることは、さっぱりでよく分かりませんでした。

 自己紹介でもお伝えした通り、ノートテイクなどの情報保障の存在も知っていたものの、他人の目を気にして活用しなかった。そのため勉強の面で苦労した部分が結構ありました。

 

質問④ 部活動はどうでしたか?

 野球の練習についていくのが必死でしたね。

 ほぼ毎日、野球の練習や試合ばかりで、小学校から高校までは休む暇があまりありませんでした。とくに夏場と冬場のシーズンがきつかったです。しかし苦しかった一方で野球の楽しさもあり、社会人になってもなお草野球という形で野球を続けています。

 

質問⑤ ずっと野球を続けてこられていますが、部活動内での先生の指示やコミュニケーションで苦労されることはありましたか?

 コミュニケーションについては慣れの部分が多いですね。小学校から野球は行っているので、やろうとしていることは分かりました。そのため野球に関してあまり苦労はなかったですね。

 ただ人工内耳を着けてヘルメットを被っていましたので、人工内耳が壊れることがよくありました。

 

質問⑥ 水泳は習ったことはありますか?

 授業の一環でやったことがあるぐらいです。水泳の場合、人工内耳を外して聞こえない環境で行うので、周りを見て動いていました。

 また先生の指示については、読話が得意だったので、口の動きを見て理解していました。小学校の時は補聴器だったので、その時に読話の訓練を受けていました。

 

質問⑦ 進路の選択で親御さんとどのようなことを話されていましたか?

 中学校の時は、同級生と同じように地域の公立中学校に行くことになっていたので、特に話したことはありませんでしたね。

 ただ中学の野球部に入るのか、硬式の野球クラブに入るかについては結構話した記憶があります。そのおかげで、野球クラブで知り合えた友達とは、今でもゴルフに行ったり遊んだりしています。

 

質問⑧ 高校選びはどうでしたか?

 行きたい高校もあったのですが、野球の強豪校からの誘いがあって最終的にお誘いのあった高校に行きました。

 実は自分の行きたい方に行けばよかったと後悔もあります。しかし結果的に良い大学と会社に入ることができたので、今は良かったと思い始めています。

 

質問⑨ 大学選びはどうしましたか?

 高校で野球漬けになり、学業を疎かにしていたので良い大学に行けるはずもなく浪人を決意しました。

 当時は社会人として認められたかったことと、親に恩返しをしたかったため、良い大学を卒業したいと思って勉強をしていました。私の両親は、どちらかというと勉強を重要視している様子ではありませんでした。

 

質問⑩ 勉強は参考書を見て、家で一人勉強することが中心でしたか?

 中1後半から普通の塾に通っていました。その塾はマンツーマンではなく、授業スタイルでしたね。5人くらいで狭い部屋だったので、声が通って内容は分かりやすかったです。

 大学では、基本は参考書での勉強を行っていました。

 

質問⑪ 今の仕事は将来就きたいと思った仕事でしたか?

 いえ、特に就きたいと思った仕事ではありませんでした。大学で物理を習っていましたし、それが活かせると思って今の仕事に就きました。

 

質問⑫ 小・中学校時代にクラス替えの時などは、先生からみんなに対して人工内耳などの話をしてもらう機会はありましたか?

 小学校で仲良かった友達が一緒の中学に進学したので、わざわざ話してもらう必要はありませんでした。また私が難聴であることは学年中に知れ渡っていました。

 

質問⑬ ご両親が先生に密かにお願いしていたことはあったのでしょうか?

 私自身は分かりません、しかしお願いしていたのではないかと思います。

 

質問⑭ 採用は障害者枠でしたか?

 障害者枠での採用でした。しかし実際のところ一般枠と同じように新人研修を受けて、配属されました。実力があれば一般枠と同じように配属も扱われています。少なくとも私の周りはそうでした。

 障害者枠は母数が少ないので、実力や熱意が備わっていれば内定をもらえる確率は高くなると思います。

 

質問⑮ 過去に悩んだことや現在悩んでいることはありますか?

 学生時代の悩みは特にありませんでしたね。

 ただ就職をしてから、耳が聞こえないと周りからどうみられるか、いうことは考えました。また電話が出来ないから、今後大きな案件に関われないのではいう不安もありました。

 

質問⑯ 働く上でのサポートや配慮はありますか?

 電話を代わりに取ってもらうくらいで、特にありません。

 ただパソコンを通しての電話は受けたりこちらから掛けたりもするので、ほとんど自分で仕事を行うことが出来ます。

 

質問⑰ パソコンを通しての電話とはどのようなものですか?

 パソコンにブルートゥースを接続して電話をしています。

 

質問⑱ コロナ禍で生活はどのように変わりましたか?

 マスクによって読話をする機会が圧倒的に減りましたね。買い物はかなり厳しく、なるべく喋り手の右側に立つように行動しています。

 あとは、働き方改革で1ヶ月の半分が在宅勤務に変わりました。また、外出の機会も失われましたが、会社も資格取得を推奨しているので、勉強をする機会が多くなりました。

 

質問⑲ これまで親御さんに言えなかったこと、言い辛かったことはありますか?

 親への感謝です。

 当時は恥ずかしくて、とてもありがとうとは言えませんでした。しかし今となっては、お酒を飲む時に昔はこうだったとか、これをしてくれたから今があるという風に感謝を述べることが出来ています。

 

 

うさぎクラブから一言

 

 忙しいお仕事の毎日の中、うさぎクラブの親御さん達のお役に立てればと、講演を快諾してくださいました。ZOOM講演を通じても、周りを明るくしながらも進行してくれる、ムードメーカーで、リーダーシップのあるモンブランさんのご様子が伝わってきました。

 

 幼少期から青年期まで変化していく悩みや不安を、努力や工夫で乗り越えながら今社会で輝いていらっしゃるモンブランさんのお話は、うさぎクラブの保護者の方にとって、参考になっただけでなく、励みにもなったのではないかと思います。

 

 ストレートな質問にも快く答えてくださり誠にありがとうございました。

 

 これからの益々のご活躍をお祈りしております!