医師、言語聴覚士、スタッフのコラム

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日々の気づきや、きこえの事など、各専門家の目線で難聴との関わり方を綴っています

第3回 先輩ママに聞いてみようの会

2021.08.12

第3回 先輩ママに聞いてみようの会

2021年6月26日(土)に

ZOOMで第3回先輩ママに聞いてみようの会を行いました。

 

テーマ内容は

難聴児の就学や進路選択について」です。

 

現在、中学生の難聴児を育てる

先輩ママのご協力を得て、体験談をお話下さいました。

 

第1回は入園。

第2回は入学。

そして第3回は進路選択のテーマでお送り致します。

 

※今回の質疑応答はあくまでも先輩ママの体験に基づいた意見です。すべての難聴児療育に該当する訳ではないことをご承知ください。

 

プロフィール

 

5人家族の3人兄弟で、真ん中の子が難聴。

裸耳で100dB。人工内耳・補聴器を使って30~40dB位。

 

0歳

 

 上の子と比べて身体が小さく、新生児スクリーニング検査で片耳だけひっかかりました。そこでABRの検査をしてもらいましたが、異常なしだったため、念の為経過観察となりました。 

 

 しかし、育てていて抱っこすると、異常にのけぞったり、首がなかなか座らなかったりと、母親として違和感がありました。誰に相談しても「考えすぎ」「心配しすぎ」と言われ、母として「なにか違う」と不安な日々を過ごしていました。

 そこで他の病院にも行ってみましたが、答えはわかりませんでした。

 

1歳

 

 そして定期的に検査に通いながら仕事も復帰し、結局不安のまま保育園に通い始めました。

 

 その中、同じ月齢の子がハイハイ・歩き始める中、我が子はいざりばいで移動するようになりました。

 そして園医さんから運動の遅れの指摘を受けて、紹介された小児療育病院に行って月2回程度、リハビリをすることになりましたが、原因は分かりませんでした。

 

 そして1歳5ヶ月の時、ABRで初めて「難聴」と診断を受けました。

 成長の遅れが分かり少しホッとはしましたが、やはり悲しさや我が子に対する申し訳無さを感じて、帰りの車は泣きながら運転したのを今でも覚えています。そして誰かに話したくて、保育園の先生に話に行きましたね。

 

 いつまでも落ち込んでいるヒマはなく、補聴器も装用し始めました。

 すると、あんなに心配していた運動面は追いついていきました。そしてどのように育てていくか夫婦で話し合って療育先を探し始めました。

 

 見学や相談に何箇所か行く中で、とても厳しい言葉を掛けられて納得のいかないこともありました。

 もちろん、私自身の仕事を続けるかもとても悩みました。そして仕事を少し減らして週3日にして、保育園に通いつつ難聴児通園施設に週2日で通うことになりました。

 

2歳代

 

 2歳になって聴力が低下しまして、そこで人工内耳を検討しました。

 

3歳代

 

 そして3歳の時に人工内耳手術をしました。

 その時に、へその緒から難聴の原因がサイトメガロウイルスだったことが分かりました。「妊娠中にサイトメガロウイルスに感染してしまった私が悪いんだ」と自分を責めて辛くなった時もありました。

 

4歳代

 

 難聴児通園施設から保育園や仕事を辞めて、週5日の幼稚部に入ることを勧められました。しかし距離の問題やもう少し別の育て方もあるのではないか、と思って保育園に通い続けながら別の難聴児療育施設に変えました。

 そして小学校は「どうしようか…」と迷った結果、通常級+通級という選択をしました。

 

小学校時代

 

 小学校の先生は、難聴について特別知識があったわけではありませんが、とても協力的でした。先生が変わる度にすぐに面談、4月最初の保護者会では少し時間を頂き、クラスのお友達のお父さん・お母さんに難聴の説明、お願いをしていました。

 

 勉強のフォローは各教科、家庭でフォローしていました。

 教科書の助詞に丸をつけて音読しやすくしたり、家でリコーダーの練習をしたりなどしました。そして1~3年生までは、聞くテスト以外は90~100点、たまに80点だったと思います。担任の先生が聞くテストに関しては、加配の先生を準備して下さり、CDではなく隣で読んでくれる配慮をしてくれました。

 

 4~6年では、50点以下をとってしまうこともありましたが、やればなんとかなる漢字テストは90~100点をとっていました。周りの友達が「すごいね」と言ってくれて、自己肯定感も下がらなかったと思います。成績でCは一度もありませんでした。

 

 5年生から中学のことを考え始め、通級の先生に相談して見学や体験・相談に行きました。地域の中学校に行って通級の利用をする方法、他市の中学校、そして聾学校と、選択肢はたくさんありました。その中で、我が子が将来目指したい夢なども決まってきましたね。

 市の教育相談所が動いてくれるのは、6年生になってからでした。そして中学受験のために漢検・算検にも挑戦しましたね。

 

 そして我が子の「少ない人数で学びたい」という気持ちを尊重して聾学校を選択しました。

 手話は、手話ニュースなどを毎日見たり生活する中で、1学期で覚えてしまいました。しかし今まで頑張ってきた聴覚活用の頻度が減り、クラスの人数が少ないことで危機感を感じました。ですのでメリットデメリットもあると改めて感じました。

 

最後に

 

 今、我が子は中学生です。自身が輝いていくために、どうしたら良いのかを常々考えながら色々選択してきたつもりです。しかしそれが本当に最善の選択だったのか…今でも分かりません。

 

 ただ良かったなと思う点は、兄弟や私自身のやりたいことは諦めてこなかったことです。

 また彼女自身がやりたいことは尊重してやらせてきました。例えばラフティングをやりたいと言った時も人工内耳を外して挑戦させたりなどもしました。難聴を理由に諦めさせることを出来るだけしなかったのは良かったと思っています。

 

 また私自身も仕事を辞めなくて良かったと思っています。100%すべてを難聴の我が子に注ぎ込んで療育に必死になっていたら…多分私自身も私じゃなくなっていたと思います。なので私自身の人生も大切に出来たことはとても良かったです。

 

 年頃を迎え、やや反抗期な一面もあります。しかしいずれ私がやってきたことを分かってくれる時がくると思って、時には厳しい言葉を言いつつも過ごしています。

 

 今一番の悩みは高校でして、特に悩むのは塾に行くことですね。今まで育ててきて、ずっと色んなことに悩んできました。しかし結局は解決して、次の扉が開いていきました。

 ですので、この悩みもいつか解決していることを願って、私自身も大切にしながら我が子を育てていきたいと思います。

 

 

質問① 小学校のテストで90点以上を取っていたなど本当に頑張っていたと思います。もし宜しければどのようなことを行っていたのかお聞きしてもいいですか?

 

《先輩ママの回答》

 正直言うと、点数だけ良かったということもありますね。

 実はWISCを行ったときにワーキングメモリーが低いことが分かったんです。ですのでうちの子の場合は何度も書いて覚えてもらっていましたね。あとはことばの意味も教えていました。他にきこえとことばの教室の先生もすごく丁寧に教えてくれたことも良かったと思います。